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五稜郭始末記異聞 ~北海道に行ってきました。

「浪曲案内 連続読み」 第13回

五稜郭に刻まれた人情

 「なんだこのありさまは。徳川軍の兵士の亡骸だけ、野ざらしのまんまじゃねぇか」と、旧幕府軍の人たち八百人の遺体を寺へ葬った柳川熊吉とその慰霊碑、函館碧血碑の話は、浪曲「五稜郭始末記 義俠熊吉」(笹井邦平・作)に描かれ、本連載の第3回にも書かせていただきました。

 実はこの人道的な行動は、柳川熊吉、大岡助右衛門、実行寺住職・日隆の三人を中心に命がけで行われたものでした。

 助右衛門の旦那寺が実行寺であり、日隆住職に相談。六百人という大勢の子分を持つ熊吉親分、助右衛門の大工仲間たちも手伝ったことと思われます。箱館に住んでいた町人たちが人の情けで協力し合いました。

 歴史は、たとえ名前は残っていなくても、沢山の人たちの「いま」の想いや情熱で動いていくものと感じます。浪曲はそれを描いて、心を繋げていく芸。浪曲の、30分という限られた時間で、登場人物として大岡助右衛門は出てこなくても、義兄弟・熊吉の中に助右衛門が生きている――そういう芸を常に心がけて参ります。

 『札幌誕生』(門井慶喜・著)に札幌の町を作り始めた島義勇(しまよしたけ)判官の苦労が描かれています。先人の努力で少し基盤ができたあと、白羽の矢がかかったのが、大岡助右衛門たち中川組の大工たちでした。

 1871年(明治4年)2月、まだ雪の降りしきる中、助右衛門は函館をあとに札幌へと向かいます。おそらく熊吉の子分や人足たちも引き連れ、百三十人。何もない札幌の土地に建物を、新しい町を次々と作っていく開拓御用の請負人。