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プロレタリアの街

「けっきょく選んだほうが正解になんねん」 第12回

プロレタリアの街

人生の厳しさを知った神戸新開地だったが……(画:大久保ナオ登)

桂 三四郎

執筆者

桂 三四郎

執筆者プロフィール

上方落語の夜明け

落語家になった時、目標は人によって様々だ。

僕が入った当初、上方落語には寄席と呼ばれる定席がなく、様々な場所を借りてゲリラ活動的に落語会を行なっていた。

開演前に自分たちで高座を組み上げ、幕を張って見切れ(客席から楽屋や囃子場が見えちゃうことね)を防ぎ

少ない客数の中で椅子の並べ方を工夫することで、たくさん入っているように見せるという“匠の技”を発揮する。

どう考えても赤字なのに、後輩の前座さんを雇い、先輩をゲストに頼んで終わってから打ち上げもしてしまう。

こういう形が上方の伝統的な落語会のあり方だった。

「なんで赤字で仕事せなあかんねん」と思って落語会をやらない人も数多くいた。

そっちの方が合理的な考え方で、落語会を地道にやってウケないながらもネタをたくさん持って少しずつ研鑽を積んでいった人よりも、とにかくウケるネタを一本研ぎ澄ませた人の方が重宝されていた。

それよりも、もっと重宝されたのがテレビ、ラジオ等のマスコミに出ている人だ。

だから僕が入った時は「賞なんかとっても売れへんで、落語を頑張るよりも、テレビに出る努力をした方がいい」と言われていた。

実際、上方落語の現状を見るとそうだった。

“よしもと至上主義”の大阪で、常設の小屋のない上方落語。

どう考えても満足に稼げるような時代ではなかったように思う。

今では上方落語の大御所然としてトリをとっているような師匠でも、人によってはつい十数年前まではバイトで食いつないでいた、という話を聞いた。

ところが天満天神繁昌亭ができてから、上方落語がガラッと変わった。

いざ寄席ができた時、活躍をしたのは地道に落語を研鑽してきた落語家たちだった。

そして繁昌亭ができたことで、上方落語の需要が増え、今まで地道に落語会を作ってきた人たちにその仕事が回ってきた。

今まで食えなかった上方落語が逆に儲かるようになってきたのだ。

これは師匠桂文枝の上方落語における最大の功績で、正直この功績だけで文化勲章や人間国宝になってもいいくらいなのだけど

繁昌亭ができて今年で20年、上方落語家が食べていけるのは師匠が寄席を作った功績によることが大きいのに

どうも感謝の心を忘れてしまっているようで少し悲しい。

それでも上方落語は、少しずつ発展しているのは間違いない。

大阪は相変わらず、マスコミの影響力は強いけど

昔より「落語頑張ってもあかんで」という時代ではなくなってきたように思う。

そしてマスコミへの憧れよりも、寄席のトリを務めることへの憧れも生まれてきているように思う。

年功序列の強い上方落語で、15年でトリを務められる制度や賞レースの成績優秀者がトリを務められる制度のおかげで、トリを務められるキャリアがグッと下がったこともあるかもしれない。

かくいう桂三四郎も5月末に「神戸新開地・喜楽館」で1週間トリを務めさせていただいた。

僕の地元・神戸だということや、なかなか関西で見られないレア感もあって、ありがたいことに連日の大入りが続いた。

僕が入った頃のあの暗かった上方落語の状況からは想像もできない。

また神戸に寄席ができ、その場所が新開地だということも感慨深い。